字は何のためにあるのか 

  • 2016.12.29 Thursday
  • 20:00

 作家三浦綾子さんが小学校教師をしていた時、教え子の一人に、K子ちゃんという知恵遅れの子がいました。K子ちゃんは「からだ」を「かだら」と言い、「うれしい」を「うでしい」と言っていました。字を覚えるのも遅く、九九も間違えてばかりいました。

 

ニコニコしてはいますが、4年生なのに1年生にしか見えませんでした。K子ちゃんが5年生になった時、三浦綾子さんは結婚のために退職しました。しかし2ヶ月後に肺結核が発病し、病院に入院したのです。その後何年間か三浦さんは教え子たちに慰められ、励まされたのでした。しかし入院生活は13年間続きだんだんと見舞ってくれる教え子たちの数も少なくなっていきました。

 そんな中で終始変わらず見舞い状をくれたのは、あのK子ちゃんだったのです。K子ちゃんはある商店のお手伝いとして住み込んでいて、休みをもらえず見舞いに来ることは出来ませんでしたが、手紙だけはよく書いてくれました。相変わらず「おかだらをらいじにしてくらさい」というようなたどたどしい手紙でしたが、それでも長い間には、いつのまにか漢字も少し混じえて書くようになったといいます。とはいっても、小学生のような手紙ではありましたが……。


 ある時、三浦さんの母親が病気で倒れたのを知ると、彼女はヒマをもらい、二日ほど手伝いに来てくれたことがあるそうです。三浦さんはその事を次のように書き綴っています。

 

「そしてその後も、たどたどしい手紙は、わたしの病気が治るまで続いた。わたしは、彼女の手紙を読みながらいつも心打たれ、そして教えられた。“字は何のためにあるのか”と……。」

 

三浦綾子著「生きること 思うこと」より

真珠湾訪問の朝に

  • 2016.12.28 Wednesday
  • 10:52

今年は春にオバマ大統領の広島訪問があり、そして今朝は安部首相の真珠湾訪問のニュースが放映されていました。

 

 

私事になりますが、私の亡き父は太平洋戦争中、米国のテネシー州におりました。父がアメリカに渡ったその年の12月に真珠湾攻撃があり太平洋戦争が始まったのです。父はそのニュースをどんな気持ちで聞いたのだろうかと思います。

 

真珠湾攻撃の翌日、さっそくFBIが大学にいる日本人学生のことを調べに乗り込んできたそうです。学長と日本人学生の代表が呼ばれました。学長は「ここにいる日本人学生たちは勤勉で大学にとって大事な学生たちです。日本人学生のことは私が全責任を持ちます」といってくださいました。このような先生方に守られて、日本からの留学生、日系人学生はキャンパスで自給生として働きながら学びを続け、FBIも二度とキャンパスには現れませんでした。外出などは気をつけるように言われたそうです。父のいた場所がクリスチャンの大学であり、日本人の少ない海岸線から遠く離れたテネシーだったからでしょうか。


 しかし、日系移民の多くいるカルフォルニアなどの状況は全く違っていました。米国は真珠湾の奇襲攻撃によるショックで日本がアメリカ本土も攻撃するのではと警戒していたからです。そして大統領令により、全米10数箇所に建設された日本人収容施設に多くの日系人は送られて大変なご苦労をされました。

同じ敵国でもドイツ人など白人は収容されなかったのに日系人だけがそのような収容施設にいれられたのです。政府のこの政策に唯一反対したのはコロラド州知事のラルフ・ローレンス・カーでした。でもそのためにカー知事は自身の政治家としての生命を縮めました。

 父の大学の恩師は収容施設に入れられたために勉学を中断した日系人の大学生を米国の中部にある大学に移し、勉学が続けられるように政府に働きかけ、その役割をになったそうです。その先生は、戦前千葉県の楢葉にあった日本三育学院で日本の若者のために働いていた方だったのです。

 

太平洋戦争中に、日系人たちに手を差しのべた人たちがこの他にもおりましたが(クェーカーの方たち等)、アメリカでも日本でもほとんど語られることはありません。そういう人たちこそ、真っ暗な時代の中に光り輝いている「地上の星」といえるのではないでしょうか。

 「戦争の悲惨さから目をそむけないことと同時に、国と国が戦争をしている最中であっても、敵味方という隔ての壁を超えた行動をとった人がいたということも忘れてはいけない」と常々父は語っていたことを思い出します。

 

 

161228104331.jpg

⚫学長夫妻と日本人・日系人学生たち(戦争が始まる前に撮られたものと思われる)

⚫父のパスポート 外務大臣 近衛文麿の名前が見られる 発効日が昭和16年(1941年)3月31日
 

真のプロとは

  • 2016.12.27 Tuesday
  • 20:22

「専門性というのは鋭く問題点を指摘することのように普通は考えられている。私も心のどこかでそう考えていました。しかし、悪い点は誰にでも見えるんですよね。そうでなく、99%がだめでも0.01%のプラスの部分を見抜く感性、愛と祈りによって支えられた温かい眼差しを持つことが真のプロである。

 

・・・安住力也先生の言葉より・・・

小さな光

  • 2016.12.25 Sunday
  • 08:12

 

 

子どもたちに教えた歌をお家の方も覚えてくださり、一緒に口ずさんで忘れないで歌い継いで下さっているのは喜びです。

この「小さな光」英語タイトル「This little light of mine」という子ども賛美歌を以前ゴスペル バージョンで子どもに教えたことがありますが、最近あるお母さんに「今でもわたしのお守りのように歌っています。歌っていると元気がわいてくるのです」と教えていただきました。

 

 わたしの中の小さな光り

 明日へと輝かそう

 わたしの中の小さな光り

 光れ 光れ 光れ

 

 嵐が吹いても 光りましょう

 嵐が吹いても 光りましょう

 嵐が吹いても 光りましょう

 

 隠れましょう いいえ❗光りましょう

 隠れましょう いいえ❗光りましょう

 隠れましょう いいえ❗光りましょう

 光れ 光れ 光れ

 

 

This little light of mine, I'm gonna let it shine
This little light of mine, I'm gonna let it shine
This little light of mine, I'm gonna let it shine
Let it shine, Let it shine 
Let it shine!

Everywhere I go, I'm gonna let it shine
Everywhere I go, I'm gonna let it shine
Everywhere I go, I'm gonna let it shine
Let it shine, Let it shine, 
Let it shine!

 

 

 

「あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。また、ともし火をともして升の下に置く者はいない。燭台の上に置く。そうすれば、家の中のものすべてを照らすのである。そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」(マタイ5:14−16)

 

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