人は皆 我の師

  • 2017.10.16 Monday
  • 20:00

ビアテイゴルスキーというチェリストがおりました。彼がまだ新人だった頃、演奏会で聴衆の中に、チェロの巨匠カザルスの姿をみつけ、すっかり緊張してあがってしまったそうです。やっとのことで演奏を終えた時、客席からカザルスが盛んに拍手を送っているのをみてびっくりしました。

 後年、ビアテイゴルスキーも立派なチェリストになっていて、ある日カザルスに出会った時、「なぜ自分の新人時代、聴衆になって下さって、明らかに下手と思われる自分の演奏に対して、なぜあんなに盛大な拍手を送って下さったのですか?」と訳を尋ねたそうです。
 するとカザルスはそれに答えて、手許にチェロを持って来て「あなたはあの時、左手でチェロをこうかかえて、右手の弓をこう使って、この曲のあの一節をこう弾きました。その中の一つの音は、私が長い間捜し求めていた音でした。私はとても感動しました。あの音はこう弾けば美しい音になるのだとわかったからです。」

 
カザルスはたった一つの音の出し方を、新人のしどろもどろの演奏から学んだと言ったのでした。カザルスは更に続けて「たといあなたの百の音の出し方が悪くても、そのうちの一つの音の出し方から私が学べば、あなたは私の先生です。私は私にものを教えてくれる師匠に対しては、いつも心からの感謝を込めて、拍手を送るのです」と。

 

 ちょっと耳が肥えてくると評論家のようにあの演奏は、あの音は、などと言う凡人とは何という違いでしょう。人の間違いや足りないところを探しだして指摘することなどには関心がなかったのです。貪欲までによい音を追求する姿勢。そのためには誰からでも謙虚に学ぼうとする姿勢をカザルスは持っていたのだなあと教えられました。

 

カザルス編曲で有名な「鳥の歌」

才能とは

  • 2017.10.05 Thursday
  • 20:00

   才能

どんな小さな才能でも粗末にせず、人のために用いるとき、その才能はさらに伸びてゆく。

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才能とは根気強さのことである。

        モッパーサン(フランスの作家)

 

私たちが心に留めなければならないことは才能をどれほど受けたかということではなくて、現に与えられているものをどのように活用しているかということだ。

        E・G ホワイト(アメリカの宗教家・教育者)

 

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ある少年の作文から

  • 2017.09.13 Wednesday
  • 20:00

 小宮路先生の勉強会で紹介された、ある男の子の作文をご紹介します。そこにはある少年の小学六年の時の出来事が書かれていました。

 

『その日は全くついていなかった。一日中メタメタ先生に怒られていたのだ。朝のストーブから始まり、理科の時間のテストの答え、給食の時も怒られた。食事をしているとき怒るなんて先生ひどいよ。何でも僕のせいにして怒るなんて……。Y先生の頃は良かったなぁと僕は思った。O先生なんて下の下だよ。

その夜、母なら僕に同情してくれるだろうなと思い、“きょうは全くついていなかったよ。O先生に怒られてさあ…”。

 

母は“それくらいで気落ちしちゃ駄目よ”と言った。僕は先生に怒られるのに慣れているから大丈夫だよと、自分の気持ちを抑えながら一部始終を話した。僕は母から“それはひどいね…”と同情してもらいたかったが。


“先生は大変ね。私なんかあんたたち四人で悲鳴をあげているのに、四十人の生徒の面倒を見なくちゃいけないんだもの”と、かえって先生の方に同情するんだ。僕はてんで面白くなかった。母はつまらなそうな、へんな顔をしている僕を見て昔の話をしてくれた。

“私が静岡の清水で働いているとき、お客さんにお茶を出そうとしたら、いつものテーブルがへんな所にあってね、お茶のお盆を片手で持ちながら、もう一方の手でテーブルを動かしたの。すると課長さんが後で『こういうときは、お盆をどこかに置いて、両手でテーブルを動かすもんだ』と注意して下さったの。

 

そのとき私は『いろいろと教えてくださってありがとうございました』とお礼を言ったの。すると課長さんは『怒られてありがとうと言ったのは君だけだ』と喜んで、それからは何でも教えてくださったの。”


 僕はこの話を聞いて感心し、また心の奥深くに何かがあることを感じた。

 

僕は本当に、これでよかっただろうか。怒られたら先生をにらみ返す、これでいいだろうか。

 

僕は考えさせられた。やがて僕は決心した。僕は先生に怒られたら、それを感謝して受け取ろう。

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この作文に登場する怒ってばかりの先生は問題があったかもしれませんが、息子のつぶやきに対してこのような反応をかえしてあげられたお母さんに感心しました。人間は注意された時に頭をさげて、ありがとうございましたと言うことはなかなか難しいです。それができたら「心の金メダル」と言われています。

 

そしてお母さんの体験を聞いて、そこから一歩進んで考えることのできた息子さんにも教えられました。大好きなお母さんの体験だから素直に心に響いたのでしょうか。

 

 

空の鳥をみよ

  • 2017.09.04 Monday
  • 16:00

 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取り入れることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。

 

 あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命ををわずかでも延ばすことができようか。

 

 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花のどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

 

 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。   聖書 マタイによる福音書6章26〜32節

 

 

 

エイケントリオ  岩田英憲氏は廿日市在住のパンフルート奏者です。

神様はデザイナー

  • 2017.07.26 Wednesday
  • 20:00

 

「神様って、えらいデザイナーやなあ。人の顔いうんは、みんな同じ部品を同じ数だけもっとるのに、一人として同じ顔はおらへん。一人ひとり違う顔で個性的や。ということは、それぞれが神様のオーダーメイドなんやなあ」松下幸之助

 

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日野原重明先生

  • 2017.07.18 Tuesday
  • 20:00

 

クリスチャンドクター、日野原重明先生が105才で亡くなられたとのニュースが飛び込んできました。直接お会いしたことはありませんが日野原先生の本は何冊も読み、番組を拝見しては励まされてきました。よど号ハイジャック事件に遭遇したことが人生の転機になったといいます。

 

「以前の私は、臨床医として、学者として、いかに格好よくファイプレーを見せるかに腐心していましたが、あの大きなハプニングのあと、私が語りたいと思う相手は、医学界の権威ある人たちよりも、むしろ名もない若い医学生たちや病む患者さん、そのご家族に移りました。」

 

 

いのちの授業をして全国の小学校を回っておられました。日野原先生の生き方は子どもたちにとっても私たちにとっても素晴らしい生き方のモデルでした。日野原先生、長い間本当にありがとうございました。

最上のわざ

  • 2017.07.13 Thursday
  • 20:00

年長のダニエル組が6月にご近所のデイサービス(なごみクリニック)にいきましたが、なごみの皆さんから写真つきの大きなカードが届きました。どうもありがとうございました。これから暑さ厳しき季節になりますが、皆さんどうぞ元気でお過ごしになられますようにお祈りいたします。秋にはエリヤ組のお友だちが訪問します。

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今日は敬老の日が近くなるとよく読まれる詩をご紹介しましょう。

 

「最上のわざ」


この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

 

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、


人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。


老いの重荷は神の賜物、古びた心に、これで最後のみがきをかける。


まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。


こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。


それは祈りだ。手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。


愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。


『来よ、わが友、われなんじを見捨てじ』と。

 

ヘルマン・ホイヴェルス著「人生の秋に」より

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聖書には次のようなみ言葉があります。

 

「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ」。(伝道の書12章1節、口語訳聖書)

 

 

 

 

 

 

 

主役

  • 2017.06.29 Thursday
  • 20:00

主役     小宮路 敏

 

学校は 教師の仕事のためにあるのではない

病院は 医師の仕事のためにあるのではない

教会は 牧師や神父の仕事のためにあるのではない

家庭は 両親の憩いのためにあるのではない

それを知っていながら

私たちは 主役を置き去りにして忙しく飛び回る

瞬間 瞬間

私のあたたかい一言を

まごころの親切を

待ち望んでいる人のいる聖所であることをいつも覚えて

主の愛によって仕えたい

 

 

 

 

あるお父さんの手紙

  • 2017.06.14 Wednesday
  • 20:00

今日はあるお父さんが、これから生まれてくる子に書いた手紙をご紹介します。



男の子であろうと、女の子であろうと、
頭がいい子であろうと無かろうと、
美しい子であろうと無かろうと、
いつも人々の見る目によって異なる基準よりも
僕にはもっと大切なことがある。

君が真の美しさを身につけることだ。
物事をいつも正しく感じとる人々が
大切にしてきたあの美しさ。
それは人が目で見ることはできない。

僕は神に祈る。
君が平和と喜びの子となるように。
人々に、とりわけ最も虐げられた弱い人々に、
いたわりとやさしさを持った子となるように。
輝くものが全て金でないことを、
すぐに見分けられる子となるように。

君が居る場所、行く所、
暖かさと優しさを残せるように。
君が人々の悲しみを慰め、
元気を高めることができるように。
いつも、君が正しいと信じることに、
威厳を持って、勇気を示し、
高い大きな声で語れるように。

君が逆境にあって、
多くの人々が君を非難するとしても、
頭を低めてはいけない。
君を愛する人々の目を、
自分は常に善を求めてきたのだという
確信をもって、見つめることが出来るように。
そして善を求めることは、それが誰であれ、
他人を愛することなのだ。

わが子よ、重要なのは君が幸せなこと。
君が楽しく人生を送ること。
君が人を愛するように、
君が愛されていると思えること、
そしてなにより自由を感じること。

父ジャン・セリムより

 

※エジプト人の国連職員ジャン・セリム氏が、生前、まだ生まれていない子どものために送った手紙。

ジャン・セリム氏はバグダッド国連事務所爆弾テロ事件の犠牲となられました。33歳でした。

 

分け合う

  • 2017.06.08 Thursday
  • 20:00
以前ADRA JAPANの日本支部長をしておられたI先生からこんなお話をきいたことがあります。
「ある国を訪問したときに、ひとりの貧しい少年がやってきたので、Iさんは、ポケットにあった飴玉を一つあげたのだそうです。すると少年は包み紙でくるまった飴をそのまま口にいれたので、Iさんは驚いて口からその飴を出し包みをとり男の子の口に入れてあげたのだそうです。すると、少年はちょっとだけなめると、飴玉を取り出し、汚れた手にぎゅっと握り締め、家へと向かったのです。Iさんが少年の後をついて一緒に彼の住む家にいってみると、彼はべとべとになっている飴を兄弟や親に一口ずつなめさせ、家族全員(10数人)が少しずつなめ、なんと3周まわったというのです。」 
衛生的に考えれば「なんて汚ない!」ということになるのでしょうが、この少年は、この飴玉をひとりじめするのではなく、「家族と分かち合いたい!」と思ったのでした。物質的に乏しい環境では、皆でわけあわないと生きていけないので、自然と分け合う、またうれしいことや喜びは分かち合うということが身についていくのだと思います。
物がたっぷりある国では自然にまかせていたのでは、なかなかこのような「少ないものを分かち合う喜び」は身に付きにくいのではないかと思います。普段から意識して、家族みんなでわける、その場にいる人だけで食べてしまわないで「お仕事がんばっているお父さんのぶんもとっておこうね」「これお隣りのおじいさんに持っていってあげようか?」そんな大人の姿勢をみせることが大事だと思います。