シュモーさんとヒロシマの家

  • 2017.01.30 Monday
  • 20:00

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被爆から7年の広島で米国人の大工さんが額に汗している? いや、写真の彼はフロイド・シュモー。モノクロームの世界に日焼けした柔和な表情が溶け込む。その3年前から広島に入り、被爆者の住宅「ヒロシマの家」を建ててきた▲全米を巡って集めた資金を投じ、手掛けたのは21棟。若者にも協力を求め、ともに材を担いだ。家は「私たちの心の愛を、目に見える形にするもの」。祖国の非道に対する「慚愧(ざんき)と後悔」の念を胸に秘めていた▲街が復興を遂げるにつれ、朽ちゆくヒロシマの家は姿を消す。最後に残った1棟は長く生き続けるだろう。江波地区の集会所が、原爆資料館に付属する「シュモーハウス」に一新された▲館内では焦土に支援の手を差し伸べた海外の人たちを紹介する。シュモーさんが使い込んだ金づちや、あの笑顔の写真も。ヒロシマがどれだけ世界の良心に支えられてきたか―。今の私たちは忘れてしまってはいないか▲道路建設に伴い、今は珍しい「曳(ひ)き家」で移転したシュモーハウス。うまずたゆまずの精神だったシュモーさんに似合う。復興のつち音は聞こえないけど、不戦への願いに耳傾けよう。それが恩返しになるはず。
(2012年11月2日中国新聞朝刊)

 

横浜三育幼稚園のお友達がはるばる千羽鶴を持って遊びにきてくれたので一緒に平和公園に持っていきました。そして少し前にブログでも紹介した江波にあるシュモーハウスを訪れました。この家は、シュモーさんたちが建てた家で現存する唯一の建物であり、広島の平和資料館の一部として保存されています。事前に申し込むとガイドさんが解説してくださるのです。とてもわかりやすく丁寧に解説してくださいました。

 

「平和をつくりだす人は幸いである」

「シュモーさんとヒロシマの家」・・・という子ども向けの紙芝居も手に入れました。本当に広島であったお話です。三育の子どもたちにもぜひ伝えたいと思った次第です。

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今日は教会のチャペルで、いく子先生のお話を聞きました。

イエスさまのところに、子どもをつれたお母さんたちがやってきたときのお話でした。イエスさまのお弟子さんは、子どもたちが来るとうるさいから、「あっちへいきなさい」と追い払おうとしました。しかしイエスさまは「幼子が来るのを止めてはならない。天国は彼らのものである。」とおっしゃいました。「だれでも幼子のようにならなければ天国にはいることはできない」と。

 

各クラスで今練習している讃美歌や歌を発表してもらいました。

マナ、年少組 ♪ふくいんの汽車♪

年中組    ♪ありがとうイエスさま(手話つき)

年長組    ♪たいせつないのち♪(手話つき)

 

みんなで覚えて歌えるようになるといいですね。

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この人にクローズアップ 新原 豊 医師

  • 2016.10.22 Saturday
  • 19:11

三育は広島だけでなく全国に幼稚園から大学まで系列校があります。国内ばかりでなく海外にも同じ理念のもとに設立された教育機関がたくさんあります。★世界各地の系列校→こちら 

この豊富な三育教育ネットワークを生かし、日本から飛び立って海外の系列校・大学で学び、様々な分野で活躍している先輩がたくさんおります。

 

今晩はそんな先輩のおひとり、新原豊医師をご紹介したいと思います。新原さんは、当時千葉県にあった日本三育学院中学校を経て、ハワイ・アドベンチスト・アカデミーロマリンダ医科大学を修了され、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)医学部教授(腫瘍学)として教鞭をとられる傍ら、難病(鎌状赤血球症)治療の新薬開発研究者としてもよく知られています。新原さんが医者を心ざしたきっかけは、子どもの頃に聞いたアルベルト・シュバイツアーの生き方に深く感銘を受けたからだといいます。

著書「生命は与えると強くなる」読んでみたい方はお貸ししますのでお声をかけてください。

 


生命は「与える」と強くなる 新原 豊著

 

Mr. Happy Man

  • 2016.07.23 Saturday
  • 20:05

 毎週水曜朝、幼稚園と小学校の教職員にチヤプレンの河原先生が礼拝の時を持ってくださるのですが、その時に紹介してくださった話のひとつに、バミューダ(英国領)のジョニー・バーンズさんとい名物おじいちゃんの話があり、大変心に残りました。このおじいちゃん、朝4時前に早起きして、朝の通勤ラッシュのロータリーのまん中に立ち、忙しく行き交う車に向けて毎朝「愛してるよ!」「良い1日を!」と笑顔で皆に手を振り、投げキスを送る、ちょっと変わったおじいちゃんなのです。

 

30年近くも月曜日から金曜日の毎朝4時〜10時まで、その場所に立ち続けている彼。誰に強いられてでもなく自らすすんで、雨の日も風の日も嵐の日も一日もかかさずです。いったいなんのために? ジョニーおじいちゃんの行動は、はじめ周囲には奇異に映り、理解できなかったようで、「お金をちょうだい」と物乞いしているのかな?ちょっとどこかおかしい人かな?など。それでも毎朝続けているうち、次第に人々は手を振り、挨拶を返したり、「あなたもね!」と応えたりするようになっていったそうです。

 

 ある時、ジョニーさんがしばらく姿を現さなくてなったとき、「あれ?ジョニーおじいちゃんはどうしちゃったんだろう?」「どうしていないんだ?」「なにかあったのか?」人々が心配しはじめました。あたり前のように毎朝見慣れたおじいちゃんの姿が見えないことを心配したある人が地元のラジオ局に連絡。おじいちゃんが病院に入院していたことが判明。おじいちゃんがまた姿を現すと、みんなは安心し、おじいちゃんのそばを通りすぎると一日が幸せな気分になったというのです。

「わたしは、道行くみんなに『人生は楽しく美しい』『あなたは神様に愛されている』と伝えたい。たとえどんなことがおきてもね。日の光、美しい花や鳥のさえずりを楽しむことができて、わしは本当にしあわせだよ。」とジョニーさんは言います。

 

次第にジョニーおじいちゃんは、バミューダの人にとってはなくてはならない心のよりどころに。ガイドブックにまで載る名物おじいさんになっていったのです。感激した人は手をふるおじいちゃんちゃんの姿をいつまでも覚えておきたいと、おじいちゃんが元気なときから銅像まで作ってしまったとか。

 

 この話は後に「Mr.Happy Man」という短編映画になり、ドキュメンタリー映画で2011年に賞をとったそうです。ジョニーさんのその後を知りたくて調べてみたら、なんと今月9日に93歳でお亡くなりになられたことを知りました。ジョニーさんの姿をもう、みることができなくなるのは残念ですが、きっと多くの人々の心の中に彼の姿、メッセージは生き続けることでしょう。

 

 大人が未来の子どもたちに残すことのできる最大の財産は、「生き方」であるということをジョーンズさんの姿を通して、改めて教えてもらった気がします。お話を紹介してくださった河原先生にも感謝します。

 

 

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